見つけてしまったからには

かなり前のことですけど,今日,ちょっとした経緯で見つけてしまったのでついつい読んでしまいました。
そしてよせばいいのに書いてしまいました。

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裁判/口頭弁論 | オリコン裁判事件簿〜Oricon Law Suit Journal


こうも疑問の多い論説をぶちまけられると,オリコンSLAPPだという本質的主張も信用性が揺らぐように感じられるのが怖いですね。

まずは原文にあたるところから。
最高裁のサイトの裁判例情報には搭載されてないみたいですが,幸いなことにアップされています。
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上記二番目のリンク先を中心に書いてこうと思います。今更ですけどね,ほんと。
まず,基本的には,認定事実と被告の主張をごっちゃにされている印象をうけます。
被告はいろいろな主張をいっていますが,認定されない=心証とられなければ,しょうがないのです。
その意味で,被告は反証,あるいは本証に失敗した,という印象を受けました。


とりあえずはここからですかね。

●コメント内容には真実性も真実相当性も認められない
烏賀陽の反論:取材ノートも私の法廷での証言も信用できないと言われたら、記者は何を証拠に名誉毀損訴訟と戦えばいいんですか?)。

真実性,真実と信ずる相当性については被告側の立証責任があるわけですが,端的にいえば立証(本証)に失敗した,というのが結果だと思います。
それぞれ,信用できない理由がきちんと書いてあります。
第3の1(5)イ(ア)bとかですね。
取材ノートにせよ,証言にせよ,類型的に信用性が高いものではないので,信用性判断にはきちんとした判断枠組み,プロセスがあります。
単に「他に証拠がない」から信用できる,などということはありえないのです。


例えば,以下の部分ですが

(2)取材源秘匿判例を無視
 取材で話した内容を裏付ける烏賀陽さん側の証拠を、取材源秘匿を主な理由として「その(烏賀陽さんが話を聞いた)レコード会社員らが誰であるのかも明らかにされていないから、到底措信できない」と退けた点にも大きな問題がある(烏賀陽は取材の年月日も場所も特定できるし、当時の名刺も残っていると法廷で証言したが、これも無視された)。

取材源は明かせないけど,確かに取材した,という証言をもって,真実性または真実と信ずる相当性がある,と認めるのは困難です。
これを認めると,およそ記者の名誉毀損は,すべて,取材源秘匿を理由になんの裏付けなしに真実性等の立証が許されることになり,違法とならなくなってしまいます。
最決昭和55年3月6日判時956・32は,証言拒絶の適法性についての判例であって,取材源を明かさない権利があるから,取材源を明かさなくともその証言は信用しなければならない,などという判例ではありませんので,その後の主張は筋違いです。


取材源秘匿は確かにジャーナリストの鉄則ですが,だからといってそのことを理由に供述の信用性が担保されるなどということには,ならないのは明らかですね。
だって嘘を言っていてもバレないのですから。


それから

「取材に応じた者が、自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載されることに同意していた場合、又は、自己のコメント内容がそのままの形で記事として掲載される可能性が高いと予測しこれを容認しながらあえて当該出版社に対してコメントを提供した場合」は「例外的」に責任が問われる。烏賀陽は掲載に「同意」したのだから責任が生じる。

 この判断基準が綿引判決のセールスポイントらしい。だが、少しで「人から話を聞いてまとめる」という形の取材の実態を知る者であれば、この「コメント内容がそのままの形で掲載される」という綿引判決の表現からして首を傾げるに違いない。

のあたりですが,因果関係論として批判しているともとれますが,単に事実認定を争っていると考えられます。
すると,判決をみると,これもFaxという客観証拠があるわけです。
第3の1(4)イですね。


次は法的論点ですが

不法行為者が複数いる場合、不法行為の被害者はすべての不法行為者を訴える義務はないので、オリコンが出版社を訴えず烏賀陽さんだけ訴えたことに問題はない。

烏賀陽の反論:出版物は取材源だけでなく、話を聞いて書いた記者、内容をチェックする編集者たちの共同作業として出来上がる。責任分担もはっきりしている。その作業は分かちがたく結びついていて、分離すること自体が現実を無視している。それを強行しようとするこの裁判官は出版の仕事に無知なのではないか?)

共同不法行為と不真正連帯債務の話ですね。
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↑のリンク先の

6)誰を攻撃対象に選ぶかは訴える側の自由

以下でも同様のことを詳しく書いてらっしゃいます。
確かにこれについては反対説もありますし,割合的因果関係論とか,寄与度減責論とかもありますので,全くおかしな論調というわけではありませんが

そう思って読み返すと、東京地裁の綿引判決はねじれ切った解釈で、グロテスクとしか言いようがない。

つまり、法の趣旨を理解しないまま「共同不法行為の誰を被告にしてもよい」といういい加減な解釈だけが一人歩きしている。これは危険極まりない。

という言説は,明らかに過大だと思いますね。
この共同不法行為の議論は,上記リンク先のような趣旨だけでなく,加害者ごとに責任が分担されると,不法行為の被害者が,各加害者全員を訴えねばならず手続的負担が大きく,また加害者のうち誰か一人でも資力不十分な人がいれば,結局損害を全額賠償してもらうことはできなくなってしまう危険が存在するところ,とりあえずは加害者全員に各全額の賠償責任を負わせ,上記負担及び危険は,加害者側が求償権を行使する,という形で負うのが妥当である,という趣旨もあります。
とすると,

まず「企業という社会的強者」が「弱者=烏賀陽という個人」を攻撃しているオリコン裁判に、この法解釈を何も考えずに機械的に当てはめている。力関係がまったく逆なのに、です。
 また、オリコンにとって、名誉棄損を起こした当事者は「不明」ではない。サイゾー編集部、インフォバーン社、記事の執筆者と、わかりきっている。オリコンも『オリジナル・コンフィデンス』という雑誌を発行する出版社ですから、知らないはずがない。彼らは「誰が悪いかわからないから、とりあえず烏賀陽だけを訴えた」のではない。AERAの記事から烏賀陽を狙っているから烏賀陽だけを訴えたのです。そう社長が自ら宣言している。

社会的力関係が問題なわけではなく,不法行為の加害者,被害者という意味で比べた場合,どちらに負担,危険を負わせるべきか,という面で考えられた理屈なわけですから,別に本件に適用されてもおかしくありません。
もし,加害者でないものを訴えれば棄却されるわけですし,応訴の負担はこの論をとらなくてもなくなるわけではありませんしね。


普通は,役割の重要性とかに関わらず,権利救済の実効性という意味で,金持ってそうな人を訴えるわけです。
そしてそれを正当化するのが,この共同不法行為の理屈なのですが。
その意味では,法人よりも個人を優先した本件訴訟は,SLAPPなのではないか?という疑問は抱かれ,被告の言い分が全くおかしいとはいいません。
しかし,それは,日本における法律上の主張にはなっていないと思うのです。
誰を選ぶのかは原告の選択だ,というものなのですから,当然に被告を選択したことが違法になる,というものではなく,その意味では反訴も棄却されるべきものだ,といえるでしょう。

立法的に解決するべし,というのは別として,裁判所としては法律にしたがって判断を下した結果だと思いますので,不当判決とはいえません。
立法論,政策論を理由に不当判決というのは明らかに間違っています。裁判官には法を飛び越える権利などないのですから。


最後に一点あげると
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高裁で和解に終わったため請求放棄をしたことをもって,原告自滅,被告勝訴とかいっていますが,これこそディストーションだと思いますね。
三者が被害弁償してくれるなら,被告に払ってもらえなくてもいいや,というだけのことではないのでしょうか。
訴えの取下げの件数とか,請求放棄の件数とか比べてらっしゃいますが,例えば和解ならば一部請求放棄など当たり前にやられていることで・・・・まあこの件は当事者が違う,という相違点はありますけど,それほど不自然にも感じませんね。
非公開手続きで和解が勧められていたので,この被告の主張する,高裁での出来事がどこまで真実なのかもわかりませんし・・・・
自分で自分の言葉の信用性を弾劾していると感じられるだけに,疑問があります。


そんな感じで,よせばいいのに今更ながらついつい書いてしまいました。
ああ,やってしまった・・・・・


以下,一緒に見たblog。
【オリコン訴訟 判決批判1】東京地裁・綿引穣裁判長のSLAPP(恫喝訴訟)容認論の虚偽 (諸野脇 正の闘う哲学)
【オリコン訴訟 判決批判2】オリコンが明言した「殺意」を無視する異常な判決 (諸野脇 正の闘う哲学)
【オリコン訴訟 判決批判3】綿引穣裁判長は、殺人と殺人幇助との区別もつかないのか (諸野脇 正の闘う哲学)
この辺も意味不明な感じです。
比喩が適当でないので,詭弁だと思います。


オリコン裁判(烏賀陽裁判)の判決が出たようです - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
素直な感想ってかんじですかね。


烏賀陽氏が敗訴
特にコメントはありませんが。


以上の内容の文責は僕ですが,実際の訴訟に関わったわけでも,記録を読んだわけでもないので,正確に事情を把握しているわけではありませんことにご容赦ください。