答案の書き方概説

答案の書き方がどうあるべきかについて、考察を書く機会があったので掲載してみます。
相当長いので、暇な人は読んでみてください。

  • 概略

誤解を恐れずにいうのであれば、論理とは形式のことであり、論理的とは形式的であることを指しますから、論理的答案というのは、型にはまった答案をいうのです。


論理的とは、演繹的記述がなされていることを言う、と解釈します。
とすると、演繹法の形式さえ守られていれば(=妥当ならば)、真理性に関わらず、その記述は論理的なのです。


たとえば、


「大前提:羽が生えているものは魚である。」
「小前提:カラスは羽が生えている。」
「結論:ゆえにカラスは魚である。」
という記述は、論理的でしょうか?
というと論理的なのですね。
三段論法の形を維持しているからです。

カラス∈羽が生えている
羽が生えている⊆魚
カラス∈魚
の形がきちっと出来ていますよね。


前提の真実性に関わらず、論理の形式が守られている記述=妥当性ある記述は論理的なのです。
その結論が実際に正しいかどうかまでは、論理そのものは保証しないのです。
その結論が実際に正しいこと、すなわち単なる妥当にとどまらず、真理でもあることは、論理的記述だけでは足りず、その論理の前提が真であることの検証をもって初めて確保されます。
逆に言えば、妥当でない論理の前提を検証しても、真理かどうかの検証にはならないわけです。


従って、まずは論理学でいうところの妥当な構成の答案を書くところが基本になり、妥当な答案の構成とは、すなわち型にはまった答案を指す、ということです*1
これは論理性の前提になるもの、あるいは論理性そのものですので、型にはまった紋切り型の答案はよくない、という批判とは別次元の問題だと考えています。
論証の「中身」が型にはまった論証パターンを吐き出すだけ、ということが問題視されていたのであって、論証の「形式」は型にはめなければ論理的ではないのですから*2、学者の先生型のいうことを誤解して惑わされないようにしましょう。

  • 第1 はじめに

答案にはわかりやすい型というものがあります。

予備校風の型にはめた答案というものがお嫌いな方もいらっしゃるかとは思いますが、型にはまらない答案というものは、型にはまった答案を書けるようになってから試行錯誤するものであって、最初は愚直に徹底的に基本となる型を習得すべきだと思います。

型にはまった答案の書き方としては、Toulmin’s Modelなどの現実的論理モデルもありますが、新司法試験レベルでは誰もが聞いたことがあるであろう、法的三段論法に従って書くことがもっとも直裁かつ妥当だと思います。
法的三段論法に従って答案を記述すると


(事案抽出→)問題提起→規範定立→あてはめ→結論

という形に必ずなります。
従って、最初はこの型を愚直に守ることが大事だと思います。なぜこの型になるのか、この型を守る必要があるのかを以下、記述していきますので、お付き合いください。

  • 第2 法的三段論法
    • 1 構造

法的三段論法の構造は、基本的には三段論法と同じです。


「AならばCである。なぜならBならばCでありかつAならばBだからである。」
=「A∈Cである。なぜならB⊆CでありかつA∈Bだからである。」
=「AはCに属する。なぜなら、BはCに含まれ、かつAはBに属するからである。」

という形を維持することになります。

    • 2 大前提

法的三段論法の特徴としては、大前提B⊆Cに、法の適用が必ず入る、ということです。
つまり、大前提が真であるかの検討は、それが正しい法の適用であるかどうかの検討をもってなされます。
従って、大前提が真であることの理由付けとして、法律が出てくるわけです。
簡略化した例を挙げると



命題:AであるならばCであるか。
大前提:X法Y条Z項によると、BならばCである。
小前提:AならばBである。
結論:ゆえに、AならばCである *3

という形になるわけです。

    • 3 小前提

では、小前提が真であるかの検討は何を表すのでしょうか。
民法の答案においては、一般的にはBは法律要件(又は要件事実)であり、Cは法律効果になります。
さて、要件事実を思い出してほしいのですが、司法研修所の定義は置いておいて、要件事実と主要事実には定義上の差異がありましたね*4
要件事実とは、法文上の法律要件に記載されている類型的事実であり、主要事実とは、要件事実に該当する具体的事実を指す、というものです。
とすると、生の事実Aがあったとして、それが本当に類型的要件事実Bを充たす主要事実に該当するか*5の検討が必要になるわけです。
この部分が小前提「AならばBである。」の検討になります。

    • 4 法的三段論法の一般構造

以上から、民法の答案における*6法的三段論法の一般構造を考察すると


大前提:要件事実Bがあれば、法律効果Cが発生する。
小前提:生の事実Aは、要件事実Bにあたる主要事実である。
結論:従って、生の事実Aがある本件では、法律効果Cが発生する。

という法的三段論法の流れが見えてくるわけです。

    • 5 答案上の法的三段論法

以上の三段論法の流れを、答案上に表すとどうなるでしょうか。

      • (1) 一般的構成

まずは、「AであればCであるか」、という課題を先に挙げることになります。
これが、答案上の「問題提起」に該当します。
次に、大前提である「BであるならばCである」が真であるかを検討することになります。
これは、「Cとは何か」を考えることになりますから、CであるのはBである場合である、というのはまさに、Cである場合の法規範を探す作業に他なりません。
従って、これが「規範定立」に該当します。
そして、小前提である「AであればBである」が真であるかを検討することになります。
これは生の事実Aが、要件事実に該当するかを検討する作業ですから、まさに「あてはめ」です。
最後に、結論である、「AであればCである」を記述します。

      • (2) 妥当性の追及

以上のように、法的三段論法を守っていれば、「問題提起→規範定立→あてはめ→結論」の流れが必ず出来上がるはずなのです。
この流れが出来ているということは、法的三段論法の形が出来上がっていることになります。そして、演繹法の性質上、形式的に三段論法の形が出来上がっている以上、その論理は必ず「妥当」であることになります。
皆さんが答案を作成する際にも、この流れすなわち「推論が妥当であるか」がまず正しいかを意識してください。


推論が真理であるかどうかの検討は後回しにして、まずはこの部分がしっかり出来ているかを検討するところからはじめましょう。
妥当でない論理は、前提が真であっても真理ではありません。
たとえば、「CならばDである。AならばBである。ゆえにAならばDである。」という妥当でない論理構造は、かりに「CならばDである」「AならばBである」の二つの前提が正しくとも「AならばDである」との結論が真理であることの証明にはなりませんよね*7
このような妥当でない論理構造の前提が真であるかの検討は、論理の真理性を証明せずまったく無意味な行為になるわけです。

      • (3) 真理性の追究
        • ア 前提の検討

さて、妥当な論理構造をもった答案が記述できるようになって、初めてその真理性の検討に入る意味がでてきます。
三段論法の真理性の検討が、二つの前提が真であるかの検討によってなされるのは、法的三段論法であっても同様です。
従って、大前提である規範定立が正しいか、小前提であるあてはめが正しいかを、それぞれ検討して、ともに正しければ、その法的三段論法に基づいた答案は真理であることになるわけです。

        • イ 大前提の検討

大前提の真実性の検討が、「規範の理由付け」になります。
「BならばCである」との大前提が正しいのかは、Cとなる場合の規範Bの正しさですから、規範が正しければ、大前提が正しくなります。従って、この部分で記述すべきは、規範の理由付けになるわけです。

        • ウ 小前提の検討

小前提の真実性の検討が、「事実の評価」又は「事実認定*8」になります。
「AならばBである」との小前提の正しさは、生の事実Aが要件事実Bに該当するかどうかですから、生の事実が要件事実に該当する事実であると事実を評価/認定できれば、小前提は正しいことになります。とすると、小前提の正しさの検討は、事実の評価/認定になるわけです。
一般に生の事実を適示しただけでは、「Aである。」と述べているにとどまり、生の事実が要件事実に該当する主要事実となるのかどうかを述べていないことになりますから、小前提の検討としては論理の飛躍があることになります*9
ただ事実を適示するだけでなく、事実を評価せよ、という試験委員からの指摘は、「Aである。」(→「ゆえにBである。」)と述べるのではなく*10、「AならばBである。」→「Aである。」→「ゆえにBである。」と記述することによって、論理の飛躍を無くせ、という趣旨なのです。

      • (4) 答案の順序

一般的に三段論法では、先に前提を出し尽くしてから大前提を検討し、小前提を検討します。このような答案も間違っているとは言いませんが、個人的なお勧めとしては、前提は小出しに出していいと思います。
すなわち


問題提起→規範定立→規範の理由付け→あてはめ→事実の評価/認定→結論

という形で

命題→大前提適示→大前提検討→小前提適示→小前提検討→結論

の流れで書くのがいいのでしょう。

      • (5) 具体例

答案の記述の流れの例として、売買代金履行請求権を考えて見ましょう。

        • ア 事案抽出および問題提起

甲は、乙にXを100万円で売る契約を結びました。しかし、乙は代金を支払ってくれないので、甲は乙に代金100万円の支払を請求したいとします。
「甲は、Xを乙に対して100万円で売却する」との契約書がある場合(=A)


→事案抽出*11



甲は乙に対して100万円の支払請求ができるでしょうか(=C)。


→問題提起(=「Cであるか」*12



        • イ 規範定立

甲が乙に対して売買代金支払請求ができるのは(=C)
売買契約が成立している場合であり、売買契約の成立のためには売買目的物および代金についての合意が存在することが必要です(=B)*13


→規範定立:売主買主間で売買目的物および代金の合意という売買契約があれば、売主は買主に売買代金支払請求ができる(大前提=「BならばCである」)。



民法555条より*14、売買契約は、「当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生」じますから、売買の目的物と、代金の合意があれば、売買契約は成立するわけです。売買契約が成立していれば、売主甲には売買代金債権が発生しますから、債務履行請求権として、売買代金支払請求権が成立します。


→規範の理由付け(=「BならばCである」は正しい)


        • ウ あてはめ

次に、「甲は、Xを乙に対して100万円で売却する」との契約書がある(=A)、との生の事実がありますが、この生の事実から、甲乙間で売買契約が成立しているための要件事実である、売買目的物と代金の合意がある(=B)ことがいえるかを検討する必要がでてきます。


→あてはめ:「甲は、Xを乙に対して100万円で売却する」との(真正に成立した)契約書があれば、甲乙間で売買契約が成立している(小前提=「AならばBである」)。


契約書は処分証書でありますが、処分証書は形式的証拠力が証明されれば、原則として処分証書記載どおりの法律行為がなされたと証明されたと考えていいのですから、契約書記載どおり「売買目的物X、売買代金100万円」の合意があったと考えられます*15
従って、契約書の存在という生の事実を評価する*16ことによって、売買契約の成立という要件事実(請求原因)の存在を認めることができるわけです。


→事実評価/認定(=「AならばBである」は正しい)


        • エ 結論

以上より、「甲は、Xを乙に対して100万円で売却する」との真正に成立した契約書がある本件では(=A)、甲は乙に対してXの売買代金100万円の支払を請求できることになります(=C)。


→結論(=「Aである。ゆえにCである。」)


  • 第4 おわりに

以上のように、決められた型に従って答案を記述することこそが、論理的答案であることがわかっていただけでしょうか。
型を踏み外しても論理的な答案を書けるようになるには、基本となる型を習得する必要があります。応用は、いつだって基本を習得してからのことなのです。
型にはまった答案はお嫌いな型も、まずは基本となる型を習得することを目指してください。決して難しいことではありませんから。


なお、三段論法はあくまでも論理モデルに過ぎないため、実際には三段ではとても結論に至れない、という例も少なくありません、というかほとんどだと思います。
そのような場合には、応用法として三段論法を組み合わせることによって記述することになるわけです。したがって、そのような場合にもあくまでも三段論法が基本となるため、これを習得することは決して損にはなりませんので、率先して習得していただきたいと思います。

では、長々とした文章にお付き合いくださってありがとうございました。

*1:加えていうならば、法ないし法律は真理という概念が極めて存在しないか、あるいはきわめて限定的に存在する領域です。多くは妥当で構成されています。社会科学一般がそうでもあるともいえます。

*2:といってもいくつかの応用発展型などがあり、必ずしも以降提示する型でなければならないわけではありません。しかし、まずは基本に忠実に、です。

*3:法的三段論法を正確に用いるならば、

命題:Cであるか。大前提:(X法Y条Z項によると、)BならばCである。小前提:AならばBである。事実:Aである。結論:ゆえにCである。
となります。

*4:「村田 渉=山野目 章夫 編『要件事実論30講』弘文堂」の第1講 等を参照してください。初版しかもっていないのでページ数は省略させていただきます。

*5:司法研修所の定義に従えば、法律要件に該当する要件事実/主要事実となるか、という感じでしょうか。

*6:民法以外でも、刑法ならば構成要件など条文上の法律要件、要件該当事実とわけて考えていけば、基本的枠組みは同様になります。ただし、憲法憲法の条文の文言解釈からは直接導けない部分が多いので、別途の答案の枠が必要になります。憲法についてはまた後日、簡単に触れる予定です。

*7:論理的でない例としては、他にも「AならばBである。AならばCである。ゆえにBならばCである。」とか、「AならばCである。BならばCである。ゆえにAならばBである。」などがあります。

*8:生の事実Aから要件事実Bにあたる主要事実が認定できるか、という意味です。生の事実Aは要件事実Bに該当する主要事実にあたると評価できる、という風に解釈すれば、両者の意味は同じことになります。

*9:私の考察に従えば、「事実を評価/認定していない」、というよりもそもそもさらにその前段階の「小前提の提示がない」→「あてはめていない(あてはめの規範を提示していない)」という形になると思います。事実の評価/事実認定とは事実を評価/認定できる理由もあわせて記述しますから、事実評価/認定はあてはめの根拠付け(=小前提の検討)もあわせて行っていると考えられるからです。論理学上の問題から、小前提の適示と小前提の検討を分断する必要があるため、あてはめと事実の評価/認定を分断して書いていますが、実際の答案では両者は交じり合っていると考えられますから、細かくどこまでがあてはめでどこからが事実評価/認定なのかを気にする必要はないと思います(というよりも日本語の使い分けの難しさでしょうか)。事実評価/認定と書いていますが、事実評価/認定は「評価/認定+評価根拠/認定根拠」にわかれ、前者は小前提の適示(=あてはめ作業)に、後者は小前提の検討(=あてはめの根拠付け)にあたる、と考えればいいのではないでしょうか。

*10:答案によっては、「ゆえにBである」の記述すらなく、「Aである。」「ゆえにCである。」と一気に論理が飛躍しているものもあります。

*11:答案上では、いきなり「Cであるか。」と問題提起をすると唐突な印象を与えます。実際は採点委員は問題を熟知しているでしょうから、本当は唐突ではないのでしょうが、誰が見てもわかりやすい答案を書くことが目標ですから、仮に問題をろくに知らない人がみても、答案が理解できるようにする必要があるわけです。そこで、問題提起の前に、その問題提起が起きる事案の肝を抽出することによってなぜその問題提起が起きるのかを読み手に教えることによって、唐突感を払拭する必要がでてきます。従って、論理上は不要ですが、答案政策上、問題提起の前にそのきっかけとなる事案抽出をすることが必要になってくるわけです(例外もあります)。よく言われる「答案は、事実から始めよ」という意味の一つは、これを表します。

*12:問題提起の際、たとえば刑法などでは「~条の何罪が成立するか」などと条文が出すことが必要になることがあります。よく言われる、「答案は条文から始めよ」という意味の一つは、これを表します。

*13:問題の単純化のため、抗弁以下は考えないこととします。

*14:規範は、唐突に打ち立てても説得力に欠けます。大前提の真実性を確保するためには規範の理由付けに説得力を持たせる裏づけが必要になるのです。その裏づけとして、規範は法令の条文解釈から打ち立てることが必要になるのです(例外はあります。)。よく言われる、「答案は条文から始めよ」という意味の一つは、これを表します。

*15:新司法試験上では形式的証拠力は問題ないと考えていいでしょうから

*16:「あてはめ」は、その文言どおり必ず生の事実を適示する必要があります。よく言われる、「答案は事実から始めよ」の意味の一つはこれになります。