光市母子殺害について

痛いニュース(ノ∀`) : 【光市母子惨殺】 元少年「生きたい」「検察、僕をなめないでいただきたい」…弁護団、涙で「こんなに胸を張って弁護できたことはない」 - ライブドアブログ
これについてコメントしようと思ってたのですが、結構あっちこっちで情報がでそろっているようなのでリンクだけのせておきます。


被告人の「検察官は、僕をなめないでいただきたい」というコメントや、今村弁護士の涙を報道しているのを聞いて母親がプリプリしていて、これが一般人の反応なんだなぁとなかなか来るものがあるわけですが。


一応ひとつだけコメントを。上とは直接の関係がなく、前から書いておこうと思っていたことを残してしまっただけなんですけど。
被告人の一連の主張は、検面調書に書いてあること*1から引っ張っているようなので、弁護団が言わせているというようなことはないそうです。そもそも弁護団にだってあんなこと思いつくわけないとかどうとか。
また、ここからさらにいえることは、被告人がある主張を自発的にしたのであるならば、それを弁護人が一方的に「そんなことはありえない」「ばかげている」と切って捨てることはできないわけです。
もちろん話し合いによって被告人の納得が得られれば、言わせないことはできます*2。しかし納得が得られなければ、その主張がどんなにばかげているように弁護人に感じられてもそれにそった主張をしなければなりませんし*3、あるいは被告人がいうことだからと尊重して、黙秘させずにそのまま取り入れてしまうことも*4正当な弁護の範囲なわけです。


なぜ、我らは思い込んでしまうのでしょうか・・・・


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弁護団の一人のblog。こういう紹介もどうかと思いますが、泣かれた方です。
彼がいかなる思いで、どのように弁護したかの一端がうかがえる。批判者はぜひ一読していただきたい。
もっと前から紹介しようと思っていたのですが、今日まで延びてしまいました。

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とりあえず僕のコメントにもかかわりますが、これを読んでいただきたいですね。


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上と同じblogでの、例の「検察官は、僕をなめないでいただきたい」という被告人コメントの実態。
http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20070921#p1
上と同じコメントに対する、マスコミ等の姿勢の批判blog。


いかに我々がマスコミの情報に判断の基礎を頼っているか。
いかに我々がマスコミの情報操作ひとつで踊らされてしまうか。
いかに発言の引用・要約の正確性というものが重要であるか。
身につまされる。


光市母子殺人事件の「なめないでいただきたい」発言について - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
リンクをたどる際に利用させてもらったblog。


���޿��۸��ΤΥ������Ȥ�ž�ܡʤ������ɲä����� - �����۸��ΤΤĤ֤䤭
刑事弁護士の資格とは何だろう - 法華狼の日記
坊主憎けりゃ袈裟までも - EzoWolfの日記
http://www.luft2501.com/2008/?e=175#top
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20070528
ついでに、ここらも。
さまざまな主張があり、興味深いです。
いろいろなエントリを読んで、しょうがないとあきらめるか、これでいいと受け入れるか、変革しようと声を高くするかはひとつの大きな分かれ道だと思いました。
それぞれに正当性があるので、難しいですね。


以上、少しでも多くの人に目にしていただきたいので、リンクを掲載した次第です。


最後に注意を述べておきますと、ここのリンク先のblogの内容が真実かなんて僕にもわからないんで、僕も踊らされているだけかもしれない、ということです。
やっぱ訴訟記録とか、客観的資料が必要です・・・・
踊らされまい踊らされまいと思いながらも、情報が氾濫する現代*5において情報を正しく取捨選択する能力に欠ける僕です。
いざ法曹になる時までには、少なくとも裁判に関しては身に着けておきたいとおもっているわけですが。
なかなか・・・・

*1:違うかもしれませんが、捜査段階からすでにあった供述のようです。

*2:うそを言わせてはいけませんが、黙秘することは被告人の強力な権利ですので、納得さえ得られれば可能です。

*3:これを依頼人への忠実義務といいます。真実義務との相克については難しいのですが、以前軽く語ったことを参照してください。

*4:そのような主張をすることが被告人にとって不利益であるならばその説明を被告人に対してする必要はありますが。

*5:ネットの存在は、より多くの情報に触れることを可能にし、情報源への距離を近くすることにおいて一定の効果をあげました。その一方で情報が多すぎてその見極めができないこと、情報源への距離の判断がそもそも難しいことなどの弊害も合わせて生みました。