ついでに「バカ市長」記事と自己負罪拒否特権についても

http://d.hatena.ne.jp/delphi7/20070720/p1#c
こういう記事をお隣日記で見つけました。

この判決*1で、名誉毀損にはあたらないというのはわかるとして*2、この市長の『「自己に不利益な供述は強要されない」と定めた憲法38条を根拠に、「公務外の事故や検問で摘発されても上司への報告義務はない」と発言した。』という発言自体を、「ありえない」とか、「ばかである」とかと強烈に批判する文章になっているのには首を傾げざるをえません*3。まあオブラートに包んであるかのようで断言はしていないのですが。


実際にこのような憲法解釈については通説ではないとしてもありえないというわけではないからです。
通説以外の解釈を「何を馬鹿なことを」と切って捨ててしまうのは法を学ぶものからするとありえない考えです。
その解釈にまったくの合理性が無いのならばともかく、この市長の解釈には合理性がないわけではありません。
川崎民商事件の大法廷判決においても
憲法38条1項*4による「保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする」』
憲法38条1項が*5刑事手続に関する規定であつて直ちに行政手続に適用されるものではない旨の原判断は右各条項についての解釈を誤つたものというほかはないのである」』
としていて、行政手続きであっても自己負罪拒否特権の適用の余地があることを示しています。
この判例では「実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続」という限定を加えていますが、これ以上に拡大して適用する解釈だって十分可能であるし、学説や判例が今後そのように移行していく可能性だってあるわけですね。
だから、ここまでこの市長を「バカ」だの「ありえん」だのといってしまうのは、それこそ理性や理論をすっとばした感情論ではないかと思うわけですが、どうでしょうか。
まあ、市長という職に着く以上この程度は受忍しなければならないという判決自体には反対はしてはいないのですが。
こういう場合は僕は、訴訟じゃなくて堂々と言論で返すべきだと思うんですよね。昔は反論してもマスコミが取り上げなければ世間に広まらなかったわけですが、今ではネットがありますから、反論の場所は与えられていると思うわけです。
ホームページでも掲示板でも、ストリーミングでも、それこそYoutubeでもいいわけですから。
市民が理性的であるならば、わかってくれるかもしれません。そこまで民集を理性を信用できるかは実は結構怪しいところですので、反論をしないでやりすごそうというのもわからんでもないのですが。
この辺は民主主義の限界ということですね。


あと、自分が書いたのより遙に詳細な考察を加えたblog記事を発見しましたので載せておきます。
コメントまであわせて読んでみてください。
2006年11月02日の記事 | 碁法の谷の庵にて - 楽天ブログ

*1:ただしまだこの判決の原文にはあたっていません。

*2:公的地位にあるものについては、一般に反対言論についての受忍限度が高くなるとおもわれます。まあ受忍限度という概念ではなくて違法性という概念で処理するのでしょうがこの辺は法理論の問題なので

*3:もちろん思想を批判することは自由ですが、ありえないとかばかだとかまでいっていいかについては疑問があるということです。

*4:黙秘権とか自己負罪拒否特権とかいいます。

*5:憲法35条についても同様であると述べていますが、ここでは38条1項が問題となっていますのでこちらだけを補充します