続・弁護士倫理と一般倫理と

さて、昨日守秘義務と市民道徳との関係についての問題をアップしましたがいきなりアメリカのロースクールでのグループワークでの結論を載せますので、注意してください。
大枠において一致した全部グループの結論とは・・・・


全グループ一致で「誰にもしらせず弁護士が自分で探しにいき、生きていたらこれを保護し、死んでいたら黙秘せよ」となったそうです。
これだと自分で探しに行っているから生きていても守秘義務違反にはならないわけです。


実はこの事件はアメリカにおいてモデルケースがあります。
「レーク・プレザント事件」というのですが、気になる人は調べてみてください。


この事件はほとんど昨日載せた設例の問1と同じですが、少し詳しく述べると
1973年の夏、ニュー・ヨーク州のレーク・プレザントという湖畔のキャンプ場で女子学生が殺害され、その被告人としてロバート・ガーロウという人が起訴され、その弁護人としてフランク・H・アーマニと、フランシス・R・ベルゲという二人の弁護士が任命されました。
二人は被告人との接見において、被告人から他に3人を殺害したことを告白され、そのうちいまだ発見されていないスーザンさんとアリシアさんの2人の女子学生の死体を隠した場所も教えられました。

そこで両弁護士はこの告白が真実か確かめるために死体を捜しにいったのですが、その結果二人の死体をそれぞれ発見しました。*1
ベルゲ弁護士はスーザンさんの死体の写真を撮り、アリシアさんの遺体が野獣によって荒らされ、頭部がちぎられて他の場所にあるのを見つけて死体の場所に戻しました。

しかし両弁護士はこれらの事実を検察に告げず、検察や警察からの質問や、訪ねて来たアルシアさんの父親の質問にも、「二人の所在は知らない」と答えました。

そして1974年の公判において初めて、被告人の証言の中で二人の女子学生の殺害の事実を語らせ、死体の存在場所を告知しました。


一年も死体の所在を秘匿し、父親の質問に対しても知らないと答えた弁護士の冷酷さが大問題になり、世論が沸騰、非難轟々、猛反発。
それを受けてベルゲ弁護士は、「死体埋葬及び自己死体発見者の告知義務に関する公衆衛生法違反の罪」で公判に付されました。


これに対する第一審判決は、連邦憲法第5修正の被告人の権利に関する弁護人の守秘特権を重視し、ベルゲ弁護士が被告人の憲法上の権利を保護するためにとった措置との対比上、公衆衛生法違反という犯罪は軽微なので問題とするに当たらないとして公訴棄却。
検察側からの控訴によるニュー・ヨーク州最高裁判所上訴部は一審を支持して控訴棄却。ただし、弁護人と依頼人の間の通信の秘密の特権は絶対的なものではなく、依頼人の利益ともに人間の品位の水準もまもられなければならないと述べ、その上で本件の問題は公訴の当否であるので、本件の根底にある倫理上の問題には触れないと付言しました。


最高裁が何をいってるかって言うと、ベルゲ弁護士がどうするべきだったのかっていうのは倫理的な問題だから裁判所は考えません。ただし法律的にはこの隠匿行為は公訴するには値しませんよ、ってことです。
法は倫理には立ち入らずって考えがありますから、このような結論になるもやむなし、でしょうか。


詳しくは昨日載せた『法曹の倫理と責任(第2版)pp.111 f.』あるいは『中村治朗 著「弁護士倫理あれこれ(上)」判例時報1149号pp.11 ff.』を参照してください。



追記
アーマニ、ベルゲ両弁護士への社会からの評価は・・・・

Zitirin & Langford, The Moral Compass of the American Lawyer 23(Ballantine Book 1999)


They became pariahs in their own city. Their families were shunned by former friends and harassed by obscene phone calls. Armani's marriage almost ended as a result of the case. On one occasion a Molotov cocktail was left at Armani's home. On another he got a death threat on his breakfast napkin:"We can take you out at any time. The kid killer better not get off."
The law practices fared even worse. Frank Armani went from heading a four-attorney office with five secretaries to one-man office with secretary who came in three afternoons a week. His total compensation from the state for representing Garrow on murder charges was less than $10,000. Despite being deserted by many of his old clients, Armani managed to put the pieces of his life back together and rebuild a small practice, though he suffered two serious heart attacks. Francis Belge eventually gave up the practice of law completely.


という非常に厳しいものでした。
両弁護士はひどい迫害・嫌がらせを受けたそうです。モロトフ・カクテルまで自宅で発見されたって上に書いてあるんですからね。
その後は事務所にくる仕事の数も激減したとか。ベルゲ氏は弁護士を廃業したそうです。


注目してほしいのは、このような事件が実際にあったにも関わらず、アメリカのロースクールにおいてのグループワークでは「死んでいた場合は黙れ」という全グループ一致の結論がでているということです。
世論からのバッシングがあっても、やはり守秘義務を遵守するということでしょうか。無罪判決も受けたわけですし。
アメリカにおいては、守秘義務を遵守した結果、公判廷での証言も拒絶して、制裁を科されて刑務所に拘留される弁護士もいるそうです。取材源の秘匿で同様に拘留されるジャーナリストもいるそうですが。
日本ではまだそこまで煮詰まった例はないようですが、どうするべきなのでしょうか。


制裁(法的制裁、社会的制裁)を甘んじて受けてもなお弁護士として被告人の権利を保護するのが正当だとアメリカの弁護士の卵たちは考えたようですが(弁護士倫理>市民道徳?)
逆に、弁護士倫理を破って制裁を受けても、市民道徳に殉じるべきだと考えることも可能でしょう。(弁護士倫理<市民道徳?)


実際の法曹では、いかに被告人への不利益を最小に市民道徳に沿うにはどうするべきかが話し合われたそうですが、結論はでていません。


さて、皆さんはどう考えますか?

*1:スーザンさんは廃鉱の堅坑の中で、アリシアさんは墓地の中で発見されたそうです