address

これは今年のリブラとは何の関係もないので、そう思って読んでほしい。というか読まなくていい。
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつけたものなので。


addressやspeechというものは優れた内容をもっていようとも、本人が思っている*1ほど人の胸に残りはしないものだ。
事実、いくつものディスの大会に参加し、いくつかのスピーチの大会を観戦したが、具体的な内容はおろか、その主題内容さえも覚えているものはほとんどない。自分は比較的熱心に聴くタイプの聴衆であったにもかかわらずだ。
ディスの大会でのアドレスなどどうでもよいと考えてまともに聴かない人々に対してはいうまでもないだろう。


とまあ、そう考えて、自分の代のリブラは残るaddressをと考えて、内容よりもインパクトで勝負したわけである。
内容は覚えていられなくても、内容を特に気にも留めない人でも「英語*2がすごかった」程度のことは心に残るだろうと考えたからだ。
もちろんそれができたのは、たまたま服部、翔の二人が優れたスピーカーだったからだが*3
そういう意味では、自分の代のリブラは他の大会と一線を画すことができた。


しかし、最近になって思う。聴き心地だけがいいようなアドレスは人にその場限りの感嘆を与えるが、結局それで終わりである。
そのような演説が、人を動かすことにうまく働いたとしても所詮はagitationどまりであろう。
大衆の知と智を信頼していないからこそのagitatingということになりはしまいか。


それは真に言葉の持つ力を届かせたといえるのだろうか。言葉の表層の力を振るっているだけということにはなるまいか。
最近は考える。それは自分の未来にも関わることだから。

言葉の力を如何に振るうべきなのだろうか。



You never know when someone may catch a dream from you.
You never know when a little word or something you may do may open up the
windows of a mind that seeks the light...
The way you live may not matter at all, but you never know, it might.


誰かがあなたから夢をつかむかもしれません。
ちょっとした言葉や行為が、明かりを探している心の窓を、
開いてあげられるかもしれません。
あなたの生き方は関係ないのかもしれません、
でも、大いに関係あるかもしれませんよ。

余談だが、心に残るようにと自分はkeywordをひたすらrefrainするという手法をとった*4が、予想外の効果を挙げたようで、
今年の日大のネゴのCP依頼メールでは「ミスター〇○〇〇○〇*5」と書いてあったり、
日大のチーフからのお礼メールにも
「リブラのアドレスまだ覚えてますよ笑。〇○〇〇○〇ですよね笑まだ覚えてますよ。」と書いてあったりする。
あのaddressは失敗以外のナニモノでもないので、恥ずかしいことこの上ない。つーか藁おおいよ藁。
うん、やっぱり胸に残らんほうがいいのかもしれない。


失敗するとすくなくとも本人の心には残る。これは間違いない。
さらに、大コケすれば他人の記憶にも残るようだ。うん。

*1:あるいは思っていないのかもしれないが

*2:デリバリー含む

*3:二人には感謝している、いまでも。

*4:そう、例のアレである。

*5:keywordが入る。思い出すのもはずかしいので伏せる。