逃避エネルギーすかね

勉強が忙しいとつい、こういうこと書きたくなるんですね。
http://d.hatena.ne.jp/heartless00/20071122/1195754733


えーくわしい経緯はあまりしらないんですけど*1、とりあえずちょっとだけ。
犯人を叩く資格
ここでいう資格が法律上の資格なのだとしたら、憲法表現の自由言論の自由が与えられている以上、これを法的に制限されない限りは自由。
だから、名誉毀損*2とか、侮辱罪に当らない限度で好きに批判すればいい。
犯罪者だって、他の犯罪者を批判することは法律上自由である。


ここでいう資格が、道義上の資格なのだとしたら、この著者がいうことにも一理あって、自らが道徳を守れないものが、他者の不道徳を責めることが、道義上許さないという解釈も十分可能。
特に、自らが破った道徳と同じ道徳を他者には守らせ、それを破った他者を公然と罵倒するというのは、不道徳であるといえることには、あまり異論はないのではないかと思われる。*3この考えは、例えば
http://d.hatena.ne.jp/pbh/20071119/1195486953
でpbh氏が述べていることと、本質的には同じではないかと思われる。どうだろうか、異論があるだろうか。*4


それはおいておくとして
ところが、本件においては*5、批判をした者たちが同じ(あるいは別途の)不道徳を起こしたということはわからないわけである。
あくまでも、著者*6の考えによれば、この状況では批判者たち(糾弾者たち?)も同じことやったんじゃないのか、という予想にすぎない。
あるいは、著者がなんら根拠なく糾弾者たちの属性を決め付けているにすぎない。


だから、不道徳であるという結論はひっぱってこれないわけである。


それから、著者自身も、自らが不道徳者ではないということの立証がなんらなく、自らの覚悟ともいえないような希望を書いているに過ぎない。
結局、これだけの強い主張*7を繰り出すにしては、立論も立証も薄弱であるということになる。


逆にいえば、ある程度強固に立論し、立証をしているのであれば、このような主張を繰り出すこともまた言論の自由から認められてしかるべきであるかもしれない。*8



それと、期待可能性についてだが、
この事件についてはくわしいことは知らないわけではあるが、一つだけいえるのは、期待可能性の無い行為は、仮にしようとも*9、犯罪にはならないということである。


例えば、証拠隠滅は、他人の犯罪についての証拠を隠滅した場合で、犯人自身が隠滅しても罪には問われない。
偽証罪も、被告人自身がいかに嘘をつこうとも成立しない。
これらは、証拠を隠滅しないこととか、嘘をつかないことを犯人・被告人について期待することができない=期待可能性がないからである*10


すると、もしも誰もが、あるいは一般人がその状況に陥ったとしたら同じような行動をとるのであれば、刑が免除されたり、あるいは減軽される可能性がありうるということである。
例えば、期待可能性そのものの例ではないが、銃を突きつけられて、〜しなければ殺すといわれてそれをしたのであれば*11、それによって犯罪をしても緊急避難によって違法性が阻却されうる。


つまり、その行為それだけを抜き出して犯罪である、正確には犯罪構成要件に該当するとしても、それだけで、即犯罪にはならないということである。
例えば、これは正当業務行為であるが、医者が外科手術で患者の体にメスを入れる行為は、どっからどうみてもそれそのものは傷害行為である。
これは、「医者」が「患者治療のため」に行う「適切な治療行為」であるから、違法性が阻却されるということになるが、
例えばこれは医者以外がやった場合や、治療以外の単なる医者の趣味でやった場合などは、当然正当ではないので、犯罪のままであることになる。


以上から、結局なにが言いたいのかというと
暴力団に脅されて、仕方なくやったのかもしれないのであるから、鬼畜と決め付けるのは言い過ぎではないか」という方向性の主張にとどめておくならば、ここまで叩かれなかったのではないか、ということである。


実際に少年たちに任意性がなかったのかや、暴力団からの脅しや、それによる命の危険があったかなどについては、わからない。
結局、ブログにあがっている資料からいえるのは、そこまでであり、この著者のような踏み込んだ主張にもっていくのは、やはりできないのではないか、という結論に至るわけである。


行為そのものは犯罪に該当するが、情状も考えてやらなければ、というのが、個人的な感想である。


なお、以上のは犯罪性についての考察であり、このような行為者に命の危険があるような場合であっても、行為者がしたような行為をすることは、道義的に許されず、あくまでも自らの危険を甘受してでも、拒絶すべきだという道徳論を打ち立てるのも、一つの方向性である。
しかし、この方向性を唱えるのはともかくとして、その方向性を前提に、著者のような主張にまでもっていくのであれば、やはり立論も立証も不十分であるという従前の結論に至るのであろう。
自己の道徳論を、他者に押し付けるかのような結果になるわけであるし。


ちなみに、このような方向性を少年の批判者たちがとっていると仮定して、批判者たちが命の危険がある場合には自己の保身を優先するのに、他者にはこれを求めて糾弾しているのであるとすれば、やはり著者のいうことにも一般論として*12一理はあるのではないだろうかと、自分は思うわけだがどうだろうか。*13


結局、言いたいことはわかるのだが、主張の仕方がよろしくないということになってしまうと思われる。

*1:最近社会から隔離されているもので

*2:民事上の賠償もあり

*3:道徳というものは、法律以上に解釈の範囲が広く、一概にこれは不道徳であるとはいえないのであるが。一般には社会的な意識だが、時には社会的意識の傾向自体が不道徳である場合もあり、必ずしも多数派の意識を道徳の根拠にできるとは限らない。

*4:それと異なる道徳論を打ち出すことも可能である。どのような場合でも、不正は不正と糾弾することができてしかるべきだ、というような物などは十分考えられる。道徳論というのは、前述の不明確性から、複数の価値観が存在しうるのであり、結局のところは、一理あるという結論になってしまうのであるが、これについて議論を交わすことは自由である。

*5:この書き方は法律家っぽくてやだな。

*6:heartless00氏。女性か男性かはわからないが。以下、著者と書いたら氏のことである。

*7:論調もそうであるが、その主張の内容も論調とあいまって他者の行為を制限しようとする傾向のものである。示唆や助言レベルではなく、強制に近いニュアンスだと感じられる。しかも、自己にはそれを許す内容で、他者にだけそれを禁止するという一方的な内容になっているように感じられる。

*8:なお、名誉毀損や侮辱については、どちらも「鬼畜」といった文言を使っていて同レベルだと感じられるので考慮しない。どちらも発言とその根拠に正当性があるならば、名誉毀損や侮辱の有無については同じような結論に至るはずである。とは一概にはいえないかもしれないが。

*9:あるいは、期待可能性のない不作為についてはしなくても

*10:必ずしもそれだけではないが

*11:言うとおりにしない場合は本当に殺害される恐れが強かったのであれば

*12:実際に批判者たちがそのような立場なのかとか、著者自身が保身よりも他者を優先するのかといった部分等とは切り離して、抽象的な論だけで考察するという意味である

*13:仮定が仮定にとどまっている限りは、仮定にとどめた主張をしていない著者の主張には根拠薄弱であることは間違いないが、一般論としてはといのは、仮定にとどめた主張をしていると考えたとして、ということに読み替えてみたら、ということである。