娯楽の考察

痛いニュース(ノ∀`) : フジテレビ「ゴールデンタイムの視聴率が悪いのはゲームのせい」 - ライブドアブログ
実はこの発言、そんなに間違ってない。
「テレビそのものに問題がある」というものの捉え方次第だが。
基本的に娯楽の対象が多様化したので、テレビを見ることが最高の娯楽であった過去とはまったく違う。
そこで、テレビが従来の地位を確保するためには必然的にテレビが最高の娯楽であることを保つか、すくなくともかなり高位に存在することが必要になる。
ここで二つに分かれる。
そもそも従来とテレビ番組の面白さ自体はあまり変わっていない

明らかに劣化したか


前者だとすると、これは外的要因に左右されていると考えるのはあながち間違っていない。
ただ、外的要因に左右されてしまうほどの魅力しかそもそもテレビには無かっただけで、他にもっと面白かったり気軽だったりするものがいっぱい生まれたというだけである。
つまりこれはテレビの娯楽価値、面白さといったものが相対的に低下したと考えることが可能である。かつては数少ない娯楽の頂点であったため、絶対的な娯楽価値の強弱とは無関係に、相対的に上位に存在したといえる。あるいは、娯楽の少なさが、絶対的な価値をあげていたと考えることもできないわけではない。絶対の定義がすると微妙ではあるが。
これを「テレビそのものに問題がある」わけではないと捉えられるかどうかは議論があるところだが。


後者の場合は、なぜ劣化したのかを考える加味する必要がある。
単に飽きられたからとか、とかあるいは製作側のセンスが低下したからなのか、とかあるいは出演者に魅力がなくなったからとか。
絶対的な娯楽価値を低下させたことは、当然のように相対的な娯楽価値を低くすることになり、結果外的要因に対抗できないということになる。
こう考えると『「テレビそのものに問題がある」わけではない』とはいえず、テレビの問題+外的要因が重畳的関係になっているので、この発言は思考放棄とも責任放棄とも捉えることも可能になる。
ただ、劣化の原因や程度に比べて、それを問題にもしないぐらい外的要因が大きいならば、この場合でもこの発言は必ずしも誤りとはいえないという結論に落ち着くことも可能であると思われる。


いずれにせよ、テレビメディアが従来の地位を保ちたければ、外的要因によって相対的に低下した娯楽価値をいかにして高めるかを考えないわけにはいかない。
結局、外的要因のせいだといっても何が解決するわけではない。
方策は三つ。
外的要因を排除するか
自己努力によって外的要因に左右されない、あるいは影響を受けにくい価値をつけるか
両者を併用するか


外的要因の排除をしようとすると大変な抵抗が予想されるので、結局娯楽価値の向上しかないのではないか。従来の地位を保たなくていいというならばそもそも問題にはならないのかもしれないが。


ちなみに、自分がテレビをほとんどみない最大の理由は、時間の拘束である。
テレビを見ながら何かをしようとしてもできることは限られるし、そもそもある番組を見ようとおもったら1〜2時間拘束されてしまうことがざらで、これは自分には結構しんどいのである。
結局時間をとられても惜しくないというほどの娯楽価値がある番組が少ないという問題に行き着くのであるが。
本のように電車の中で気軽に読めるわけではないというのもある。場所を選ぶのだ。
だから空き時間にいつでもちょっととはならないので、結局決まった時間(長さ+時刻)を拘束されるのがいやなのである。
録画したとしても自分の性質的に後でなかなか見る気にならないで積まれていくというのも経験上わかっていることである。


昔は欠かさずみていたニュースすらほとんどみない。気になったところを一日5〜20分ぐらいだろうか。
したがって結局テレビはほとんど見ないのである。
大体毎週一つぐらいは長時間番組をみるので、一週間に1〜5時間ぐらいであろうか。
昔は見ていたのかっていうと昔はゲームばっかしていたのでそんなに見ていないのだが。今よりは見てたが。
ちなみに今はゲームもやらない。