記事が見つからないけど、評。

とりあえず、立てこもり事件と、母親殺害事件についてだったんですが・・・


立てこもり事件で
誰か(中川幹事長だったか?)が犯罪者の人権重視とかいうからいけないんだ見たいな発言が・・・・
うーん。確かに犯罪者の人権に対して被害者の人権は軽視されてきた風潮が日本にはありますが。
誰しも自分が被害者になる想像はしても加害者になる想像はしないんですよね。
だから、被害者の人権を尊重しようとすると、犯罪者の人権をどんどん軽視する傾向になってしまうのは必然なわけです。
極論すれば、犯罪者はとにかく射殺しろ!とかね。*1


もしこのように犯罪者の人権制限をどんどん強めていった場合、万一自分が加害者になってしまった場合には今度は自分がその制裁を受けることになるのだ、ということを皆さん考えていらっしゃるのでしょうか?
自分に限っては犯罪者にならないとおもっている方々ばかりでしょうが、たいていの人は犯罪者になるつもりを前々から持っていたわけではないのですよ。
たとえば、自動車人身事故が厳罰化されますよね。しかし、自動車事故なんかは特に過失犯なわけです。過失犯は故意で犯罪犯しているわけではないわけですから、自動車を運転している人にはみな可能性があるわけです。自分の不注意に厳罰を下される可能性がある、というのも考えて厳罰化を唱えているのでしょうか?
被害者にばかり感情移入していないでしょうか?全体のバランスを考えなければならないと思うのです。*2


だからこそ、一般人は誰も省みない犯罪者の人権を、自分たちだけでも声高に主張してなんとか保ち、全体としてのバランスを保とうというのが法曹なわけなんですが、これが一般人からみると人でなしに見えるんですよね。


また、法というのは、そして自由主義というのはいかにして少数派の人権を維持するのか?というのが至上命題のひとつであります。だからこそこの場合の少数派=犯罪者の人権を保つというのも、自由主義国家としては正当な行動ということになるわけですね。
昔書いた、民主主義と自由主義の相克というのはこの辺にでてくるわけです。
民主主義においてつまり多数派の意見が、「犯罪者の人権を剥奪せよ」となったとしても、それを安易に実行してしまうようでは法治国家とも、自由主義国家ともいえないのです。
多数派が少数派をどんどん押しつぶすことを抑制するのが法の重要な存在意義の一つなのですから、法曹は犯罪者の人権侵害に反対なのでしょう。
一般市民が極端な意見を言う場合は、逆の主張もある程度強くしないと、最終的な妥協案が妥当なところに行きませんしね。


難しい問題です。


ちなみにいうと、日本では射殺という警察官による死刑判決・執行を避けようと銃刀法があるわけですよ。
一撃で警官を殺せるような凶器を極力排除して、射殺の必要性を極力低下させることによって犯罪者を守っているわけです。
ところが銃を簡単に所持できると、相手に銃で撃たれたら即死しちゃう可能性が結構ありますから、射殺は許されないなんていってられないわけです。でも相手の凶器が即死させるようなものでなかったら、鍛えた警官であれば射殺しなくてもなんとかなる可能性が高いですよね。
銃刀法は犯罪者保護の意義もあるということですね。


そこでいうと今回の場合は、やはり暴力団なら脱法的に銃を持てるというのが問題なわけで、そうなるとやはりより厳重な銃規制が妥当であるとなるのでしょうかね。
ただ、厳罰化しようとしているようですが、厳罰化すればいいというものではないと思うのです。だって暴力団の人々は刑罰なんて恐れてないわけですからね。
どうするべきでしょうか。


後は、巷で聞くうわさでは、今回は警察の上のほうの対応が悪いというのが聞かれますが・・・・*3
仮に警察にも対応を誤った過失があるとして、警察が自己の責任を被疑者にすべて転嫁させることがないといいのですが。
もちろん立てこもり発砲犯が一番悪いんですけどね。



母親殺害事件についてはマリリン・マンソンのリスナーだったことから精神異常がどうのこうのと・・・・
おおマスメディアよ。

*1:しかしこれは日本の刑事司法の趣旨を没却するものなわけです。警官による死刑判決・執行ともいえるわけですから。

*2:さらにいうと、刑罰には被害者慰撫の目的はないので、被害者感情の配慮で厳罰化するというのは正しくありません。被害者の救済は刑罰とは別の次元で考えるべきなのです。厳罰が応報制裁として正当なレベルであるとか、厳罰によって犯罪が抑止できるという証明が本来必要なわけですが、これについてはほとんど語られていませんね。被害者被害者としか。

*3:銃の威力を過小評価したとか、装備が不十分だったとか