ちょっと書いておこう

憂鬱だ
増田さんへ。私は久しぶりに激怒しました。 - iGirl
時間があまりないので、ざっと書いてみた。


元エントリーがネタかどうかはおいておいて
正直言ってどっちもどっちだね。


増田氏*1にだめな点が多々あるとしても、asami81さんのいうことにも筋悪な点が多い。どう筋悪なのかは、コメントにいくつも書いてあるのでここでは触れないが。
>激怒
があらわしているように感情のままに書くとこうなってしまうのか、という感じ。


感情論がまったくだめってわけじゃないけど、人の批判をするときに感情論をぶちまけるのは、たいていの場合は非建設的なので、やめてもらいたい、というのが個人的な感想。
blogは私的な空間でもありつつ、開かれた場所でもある。
自分のblogなんだから何かいてもいいジャン的な、言論の自由絶対的な発想が間違っているとはいえないとしても
ネットという私的かつ公的な空間*2への付き合い方も考えていくべきなのだと思う。
私的空間だから、誰もそんなのしりたくねーよ的なごくごく私的な内容、その日のちょっとした出来事とか、を書くのは自由。
一方で、他のエントリー等に触れる場合には、私的空間同士、あるいは公的空間との接触があるわけであるから、それはもはや自分だけの空間を離れたものになるといっていいと思われる。
その場合は、自分の自由にすることが必ずしも正当化されなくなるのではないか。
特に批判の場合は、人に制限を加えようという行為であるわけであるから*3、感情論に任せて好き勝手述べるというのは、気にしなければいいじゃないか、という反論があるにしても、あり方として正しくないと思われる。
人に制約をしようとするからには、何らかの正当な理由があってしかるべきであろう。


増田氏は、自分のblog等ではなくて匿名ダイアリーに書いてあるから、まわりにかまってほしくてこのエントリーを書いているわけである。だから、これは私的空間に記載したとはいえないわけで、何を書いたって完全に自由とはいえず、批判がくることも受け止めるべきであるといえる。まあ、私的blogに書いたとしても完全な私的空間ではないので批判は受け止めるべきだと僕は考えるが、それが強くなると思ってくれてもいい。
そういう意味で、asami81さんのエントリーの全体的な方向性は間違っていない。


一方でasami81さんが増田氏のふがいないところに激怒したのはわかるが、それをネットに書き連ねるのであるならば、一旦冷静になって、自分の激怒の対象が必ずしも不当なものか?というのを振り返ってみるべきではないか、と思う。
感情的な批判がネットに飛び交うのは常であるが、傍からみていると見苦しいものが多い。某国の批判とか見ていると思うわけであるが。
「批判は論理的に」を心がけてほしい。実行するのは非常に困難ではあるが。
価値観が多様化していく時代に、感情論を持ち出すことはもうできないと見るべきだと思う。


たとえば、自分が論理に基づかない自己価値観批判とか、感情論批判をするとなると
お酒大好きな自分としては日本*4はもっと酒に寛大になれと。
酒のんでなんかやって何がわるいと。泥酔して仕事とかなんとかできなくなるほど飲むのはだめだとしても、気付けに一杯、景気づけに一杯とか全然いいじゃんと思う*5
イタリアとかで、朝一杯飲んで仕事に行く人とかみたことあるし。ベルギーじゃ昼間から普通にビール飲んでるし。
アル中前提*6で書かれているのには小首を傾げざるを得ない。


さらに言えば、酒に逃亡する、というのは昔からある一つの文化的技術なわけだから,
これを批判するのは文化を批判するのも同様なわけです。一体いくつの酒に関する詩、格言が存在することか。*7
この場合は、酒飲んですべて忘れてしまったというわけではなくて、ちゃんと挨拶には言っているわけですから、気付けの一杯であって逃亡ではないと思いますが。
逃亡というのは終わった後にしこたま飲んでいやな気分を一時的にどっかにやるとか、酒のみまくってこれからやるべきことの重圧を忘れてしまう*8とかそういうことをいうのだと思います。
立ち向かうのが常に善、というわけではないでしょう。


というわけで、酒を気付けに飲んで挨拶に来る男がいても、自分だったら気にも留めない*9というのが僕の価値観だから、asami81さんの批判は間違っている
という自己価値観批判があるわけですが、こんなこといったって被批判者からすれば歯牙にもかけないわけで。
タダでさえ、こんな意見は日本では少数派で、数に押しつぶされてしまうわけですが。
感情論批判は決着しないのです。


それはおいておいて、以下は批判ではなくて疑問だが
ちょっと思ったのは、結婚するのに女性側の両親の許しがいるのはなんでだろう?
ということ。


女性も男性側の両親の許しをもらいにいくこともあるんだろうけど、普通はあんま問題には・・・・なるか。
なるなぁ。周りでなっているのいるもんなぁ。
家柄的なものとか・・・・


法的には成人したら婚姻届に両親の同意なんかいらないんだから、気にすることはない、ってことになるわけですが。
今後の付き合いとか、いろいろあるわけですからね。
倫理の問題か。
そもそも家同士の結婚というスタイルならば、そもそも子供同士の意思など関係がなかったのが昔。親同士が決めるもので、子供が相手の両親に、「娘さん・息子さんをください」といく意味は全然ないことになる。
子供は親のものという価値観があって、「娘さん・息子さんをください」となるのか。
それとも、やっぱり親は子供の幸せを願うものだから、不幸せになりそうな相手とは結婚させたくないわけで、そのためにその審査権を親によこせ、ということなのか。
一方で、個人主義的な考えだと、子供の幸せは子供が決めるもの*10だから、親に子供の幸せを決め付けてほしくない、という考えもあるだろうし。昔でいうと駆け落ち、的な。


時代の移り変わり、価値観の多様化に伴って、こういう価値観も変容があってしかるべきだとも思うのですが。


旧=悪とも、伝統=正とも限らないわけですから、変容がいいにしろわるいにしろ。


しかしまあasami81さんは、こんな状況下では目下である増田氏が目上の相手の両親におごるのが当然という新しめの価値観*11がある一方で、結婚には相手の両親の許しがいるのが当然*12という古めの価値観が同居しているというなかなか現代的なものの見方だと思ったりした。
価値観の沿革的には一貫性はないけど、これも現代人。

子夏問孝、子曰、色難、有事弟子服其勞、有酒食先生饌、曾是以爲孝乎
論語

*1:何の特定にもなっていないがとりあえずこの表記で

*2:空間といっていいものか、場所というものも微妙だし、適切な表現が見当たらない。

*3:批判というのは言動を変えてほしいからするわけである。これは制約しようという行為に他ならない。ただし陰でこそこそするならば別であるが、陰口が正しいかどうかは、加えてネット上での批判としての陰口は正しいかどうかは、また別の価値感論争の問題になるので省略する。

*4:どの程度遡るかは別としても昔はもっとおおらかだったので現代日本というべきか。

*5:飲酒運転とか他社に損害を与えるものは論外

*6:中毒と依存症の区別ができてないのは横においておくとしても

*7:The greatest enemy of man is alcohol. But, The Bible tells us to love our enemy.アルコールは人類最大の敵である。だが、聖書はこう説いている・・・汝の敵を愛せよと。[出典不明]

*8:やるべきことをしないのはだめですが、一時的に忘れただけ飲んだ後にきちっとやっていれば悪いことでもないと思う

*9:泥酔していてまともな会話にならないとかなら別

*10:子供といってもそれは相対的な意味のもので、年齢的には大人なわけであるから

*11:ビジネスならばともかくとしてだが、これは私的関係であるから、親を養うということやお祝いのようなものを除けば通常ではないだろう。目下が支払を持つことが敬意の表れってあたりが、目上に対する接し方として旧来の価値観では不自然だったり。

*12:許しをもらいにいくのだから、こちらがおごるべし、というものなのだろうが。