こんなものなのかな?

ネットで柳沢氏の発言問題で議論をしていて思ったのが、議論になってない主張をする人が本当におおいということ。

  1. 自分の意見が論理的ではない
  2. 相手の意見の欠点を指摘しない
  3. 反論に対して自分の意見の補填をおこなわない。
  4. 自分の主張の優位性を示さない

で結局自分の主張を繰り返すだけ。
それで反論した気になっているのがすごい。


客観性もたりないし。
そして最後に持ち出すのは必ず「思想の自由」「言論の自由」があるからいろんな意見があっていいじゃん
というもの。
あなたは他人の意見を認めないんですね。
というもの。


いろんな意見があっていいことと、その中から一つを採択しなければならないことは別問題であって両立することがわかってない。
いろんな意見があっていいから反論なんてするななんていってたら、いろんな意見があってそれが対立している場合には、政策や方針なんてきまらないことになるじゃないか。
議論するというのは、いろんな価値観があることを前提に価値観同士をぶつけ合って練磨していくものじゃないの?
価値観は尊重されるべきものであるけど、民主主義においては議論の存在が根幹をなす以上、時には摩擦がおきることだって当然想定の範囲内のはず。
摩擦の中で、もっともいいと思える価値観を選び出し、あるいは構築していくものだと思うんだけど。


自由主義的側面だけを強調する人がいるのには困ってしまう。
しかも自由主義であっても、他人に効果を及ぼすような場合にはやっぱり合理性が必要であることは間違いなく、また合理性を考えるには議論が不可欠だと思うのですがねぇ。



自分の意見が間違いなく正しいと思っているのか、あるいは間違っていてもなお尊重されるべきだと考えているのか、そもそも思想の自由があるから間違った意見などないと考えているのか。
自由の意味を履き違えているのではないでしょうかね。
自由は合理的な理由があれば制限されうるのですよ。




うーん。やっぱそんなもんなのかなぁ。