はなれられずに

プラディのエヴァシーというかリフレを今さらながら書きながら*1ふっと、カンファメの乱発を春セミや、アッセンで押さえる方法を思いついた。

どんなものかっつーと、カンファメの多いテーブルはディスとディスカッサントのレベルが低いっていうカンファメ不要論が根底あるんだけど。
まず、テーブル点というものを考える。まず、ディスのレベルでテーブルに点数を付与する。
例えばだけど、Eレベルのテーブル(あくまでレベルであって、Eテーブルではない。例えば、D+のテーブルがD−のディスしていたら、テーブル点はD−。)は、テーブル点が500点で、D+は420で、Dは400で、D−は350って感じで。まあこの点数の割り振りは適当なんですけど。


いろんな採点方法があるだろうけど、日本の古式にのっとり、減点方式が確実かつ公平かなって思います。
そのテーブルがCだろうとD+だろうと、最初はみなEの点数を付与して、理想から足りない部分を減点していくわけですよ。
コンクル、アーギュ、プロシーディング、プレゼン、イングリッシュ色々加味してね。
特にすばらしいなにかがあった場合は加点を考えてもいいと思うけどね。

それで、あとはテーブル点を貢献度に応じて割り振っていくと。
そうすることによって、テーブル間比較ができるようになるわけですよ、まがりなりにも。
今までは、例えば春セミ初日みたいに、みなテーブル点を同等にしようとするから、二日目にはそもそもDとCではテーブルとしてのレベルが違うので点数評価ができなかったわけでしょ?
だからテーブル内での相対評価に限ったわけだけど、この方法である種の絶対基準を持ち込むことになって、一応できるわけです。
ちなみ、個々人に具体的な点数(カンファメ点とかアーギュ点とか)はつけません。あくまでも貢献度の相対評価に応じて、絶対評価のテーブル点数を割り振るだけです。ただし、ビミョーなカンファメしたりとか一人だけわかってなかったりとか、そういう問題があれば、テーブルに迷惑をかけたということで貢献度から引かれます。



んで、カンファメの乱発防止ですが、カンファメの回数をカウントして、それにしたがって減点するわけですよ。あらゆるタイプのカンファメを区別無くテーブル全体から減点します。それが他人の理解のためだろうとも、自分の理解のためだろうとも。
カンファメが必要になる=元発言者のプレゼン力の低さ+聞き手の理解力の低さ なので。
自分のためか、他人のためか、また、他人のためなら誰のためなのかを特定するのは常にできるとは限らないし、発言者を減点した場合、他人のためのカンファメと称して、発言者の点数を削ろうとする奴が出るかもしれないので、一律減点です。

ここで大事なのは、それだと必要なカンファメもやらなくなるので、話についていけてない奴が出ていたら、やっぱり原点するわけです。カンファメをした場合よりもやや多めに。テーブル全体から。ちなみに、ついていけない人は、テーブル点の減点と自分が理解力が低いのに、自分のためのカンファメをしないでテーブルに迷惑をかけたわけですから、貢献度も引かれるので、二重の減点になります。


結果、カンファメの奪い合いをした場合は、テーブル点が低くなって、仮にD+のテーブルでも、C+評価しか貰えないって事が出てくるわけです。
テーブルランクの基準点と個人のランクの基準点は違いますが、それでも、仮にテーブル一位でもランク残留は難しくなるでしょう。


なぜ、テーブル点という形でみなから一律減点するという時代に反する共同責任方式を取っているかというと、ディスの存在意義はあくまでもテーブル全員が協力して、ベストの結論を導き出すことにあるからです。
よって、プレゼンの苦手なオプレのために、カンファメを多用するテーブルなってしまったとした場合も、そのオプレは勿論のこと、その下手なプレゼンをわかってあげられないテーブルが、レベルが低いから悪い。
カンファメでテーブル点を引かれるのがいやで、わからない奴をおいていくディスをやってる奴らも、テーブル全員で協力してないし、わからない奴は理解力が低い(他の人はわかっているわけだから)から悪いということで、一律減点する根拠になるわけです。
結果として、カンファメ以外にもテーブルに協力しなければという雰囲気を強制できるわけです。ちなみに、協力が馴れ合いになってアーギュが適当になったらやっぱりテーブル点から減点されます。
全力を尽くさなければならないと。
んで、D+テーブルなのにD+に値しないディスしかできなかったら、ディスの存在意義に立ち返ってやっぱりテーブル全体になんらかのペナルティがあってしかるべきだと思うわけですよ。現状ではあまりそういうことはないけど。
Dたるディスかどうかってやっぱり必要かと。
ディスの存在意義を損なわずに、自分の能力を最大限発揮するのが目的なわけで。でも前者は無視されがちですそれはよろしくないといううことで考え付きました。


アレが悪いコレが悪いとまるで思いやりの無いことばかり書いていますが、そもそも勝敗に類するもののある大会というものはそういうものだと思います。
競技ディベートの非情な採点のようなものです。体操やフィギュアスケートなどの採点競技の審査基準で、例えば規定の技ができないから減点と規定されていた場合、できない奴に思いやりが足りないとか言いますか?

ディス界は甘えているんですよ。楽しきゃいいみたいな風潮に。
普段のディスはそれでもいいんですけど、年二回しかないんだからレベルを測る大会には、コレぐらいやったほうがいいと思います。


まあ、個人的には仮にも社会問題を話し合うんだから、雰囲気重視の馴れ合いで適当な話し合いをするのではなく、和気藹々じゃなくても有意義な話し合いをすべきだと思いますがね。
EDじゃなくて、DMDなんですから。しかも、VDDじゃなくて、PDD。馴れ合いの話し合いでPがDできますかっての。

テレビタックルみたいな壊滅したのはごめんですけど、それでもあそこのほうが、ディス界よりははるかにましな話してますよ。たまにしか議論にはなってませんが、前提としてみな知識人ですしね。


ただ、この採点方式をとると、ジャッジにかなりの採点能力が必要になるんだよなぁ・・・・
さらに、基準点と何をどう減点するかを決めるのが非情に大変。
例えばテーブル点を、テーブルの参加人数が違う場合にどう差をつけるのか、とか。


とうに引退した身だってのに無駄なことをながなが書いちまったぜ・・・・・・orz

*1:忙しかったんだよ〜おれは結構完璧主義者(ただし、どうでもいいものに限って)だから、書き出すとなかなか終わらなくってさ。